試される大人たち
【大人とは】
子どもにとって大人とは、お手本や見本となる人たちなのは間違いないといえます。
その相手はもっとも身近なところでは親であり、祖父母でしょう。
さらには学校の先生や、近所のおじさん、おばさんといった知っている大人にまで範囲が広がります。
そこからさらに、スーパーで買い物をするときに出会う人や、
街でみかける人も含まれてきて、すべての大人を見て子どもたちは成長していきます。
時には親や祖父母といった近しい間柄の人たちが、
こうするのが正しいというのとは正反対のことをする大人や、
正しいと言われたことをしない大人がいることに気付き、
子どもなりに矛盾した思いや、どうしてなのだろうという気持ちを持つことになります。
その時、子どもから発せられる疑問に答えられるか、
また、どのように答えるかによって、大人が試されることになるでしょう。
子どもにとって大人とは、自分が分からないことに対して答えをくれる存在だからです。
そのため、尋ねられた大人が発する答えが、子どもにとってすべてになる可能性を秘めてしまうため、
安易に答えることは許されないと言えるでしょう。
大人から見た大人
子どもから、あの大人はなぜあんなことをするのだろうという疑問を抱かれる大人が存在するように、
大人から見ても、なぜあの人はこのような言動をするのかと疑問視される人がいます。
人はそれぞれの価値観やものさし、これまでの経験から行動が違ってくるのが普通ですが、
それでも一般常識に照らし合わせ、取るべき行動を無意識に選択していると考えられます。
顔を合わせれば挨拶をし、決められたルールに従ってゴミ出しなどを行うといった行動を、
一般常識のある大人なら取るでしょう。
しかしながらこの一般常識も、考え方が多様化する現代にあっては崩れてきています。
とはいえ、大多数の人が同じような行動を取る中にあって、首をひねるような行動を取る人に対しては、
やはり疑問符を付けざるを得ません。
時に非常識であると言われたり、変り者だと決めつけられるには、
普段からの行動が人と異なっていることが大きな要因です。
【品格と常識ある行動は一致するか】
世間一般で常識があると言われる行動を取る人とそうでない人を比較した場合、
どちらが大人としての品格を持ち併せているかと言えば、やはり常識的な行動ができる人だといえます。
常識的な行動には、集団生活を送る上で協調性があるかどうかが試される要素が多々あります。
協調性とは、自分以外の他のことを考え、慮る気持ちを持っているか否かということでもありますから、
他者に対して思いやりや理解を持てない人が品格ある大人としての行動を取れる可能性は低いと言えるでしょう。
その結果が人とは違った行動ということで現れてきて、時にその行動が疑問視されることにつながります。
厄介なのが価値観の違い
ここで気を付けなければならないのは、品格ある大人としての行動だと自分が考えるか、
あるいは周りがそうとらえるかというところには、価値観の違いが現れることです。
大人になると、自分の考え方をそう簡単には変えられないようになりますので、
はたからいくら言われても自分が正しいし、自分には品格があると思ってしている行動を改善させるのはまず不可能です。
周囲の大多数がおかしいと思っていても、当人が自分は大人としての品格ある行動を取っていると思っている限り、
一般的に常識とされる行動を取るように変えさせるのはむずかしいでしょう。
品格という言葉の解釈も人それぞれ異なる以上、自分の思うところに従って自分の意志を持ちつつも、
周りとの協調性も保てる行動を取れる人こそが、大人の品格を持ち併せていると言えるのかもしれません。